中田、初の4番弾!あるぞ3・25開幕大役
オープン戦 日本ハム9-11ヤクルト(2011年3月3日 札幌ドーム)
4番弾だ!日本ハム・中田翔内野手(21)が3日、ヤクルト戦に「4番・左翼」でスタメン出場。5回に豪快な3ランを放つなど、2安打3打点の活躍を見せた。オープン戦ながら、右手骨折で開幕戦の出場が絶望的となった小谷野栄一内野手(30)の代役として回ってきた1軍で初の4番。いきなり結果を出したことで梨田昌孝監督(57)も5日以降の4番起用も明言。3・25開幕4番の座も視界に入ってきた。
これぞ4番の弾道だ。千載一遇のチャンスに、中田が最高の答えを出した。3―3の同点で迎えた5回2死一、二塁。外角高めのスライダーをフルスイングすると、今季から導入された統一球とは思えない豪快な打球が左翼席へ飛び込んだ。
「手応えは良かった。低反発といっても、深くは考えませんよ」。紅白戦などを含め今春の実戦では7本塁打目。ここ4本は中堅から右方向だったが、初4番弾はいかにも長距離砲らしい一発だった。
4番の最有力候補だった小谷野が全治4週間を要する「右手豆状骨(とうじょうこつ)骨折」と診断され、3月25日の開幕・西武戦(札幌ドーム)は絶望となった。そこで首脳陣は中田に経験を積ませる意味で初の4番に据えた。その最初の実戦で結果を出すのだから、4年目の21歳も何かを持っている。
「札幌ドームの中段より上でしょ。成長期にあるね。まだまだ期待できる」。そう感嘆した梨田監督は、さらに続けた。「当然、次のオープン戦(5日)も4番でいく。いつまで(好調が)続くか分からないけど試していく。開幕4番だってあくまで可能性だけどある」。
それでも中田に浮かれた様子は全くない。「4番バッターだからって変に緊張しても仕方ない。単に4番目の打者として深く考えず、自分のやることをやるだけ。何番だって何も考えませんよ」。大阪桐蔭時代は平田(中日)の後を継ぎ、1年秋から4番に座ると高校通算87本塁打。しかし当初の中田が目指していたのは「エース」だった。しかし肘を故障して投手を断念。打者として生きていく決意をした。日本ハム入り後も2軍では3年間で計108試合で4番で出場。「自分は(元オリックスの)清原さんの後継者になる」。そんな誓いは、もうすぐ実現しようとしている。
「今は打ってアピールするのも大切だけど、シーズンで打つことが大事。小谷野さんがああいう状態だから、打順を意識せず少しでもチームに貢献したい。自分の力で少しでもケガをしている人たちの穴を埋めることができれば…」。清原和博氏が初めて開幕4番を務めたのはプロ2年目の19歳の時。「4番・中田」――。約3週間後、本拠地がそのコールに沸き返るかもしれない。
◆若き開幕4番
▼張本勲(19歳10カ月) 60年4月9日近鉄戦(駒沢)。3―3の6回に逆転のきっかけとなる遊撃強襲安打を放つなどして逆転勝ちに貢献。チームに9年ぶりの開幕戦勝利をもたらした。
▼王貞治(21歳11カ月) 62年4月7日の阪神戦(後楽園)。4回に右翼へ大飛球を放ったが、藤井の超美技に阻まれ1号はフイに。4打数無安打でチームも1―2で敗れた。
▼清原和博(19歳8カ月) 87年4月10日の日本ハム戦(西武)。4回に先制の右翼線二塁打。しかしチームは逆転負けし、試合後は「負けたから何もしゃべりたくない」と4番としての責任を痛感。
▼松井秀喜(21歳10カ月) 96年4月5日の阪神戦(東京ドーム)。長嶋監督は前年4番だった落合を5番に下げて松井を起用。しかし内野安打のみの5打数1安打で、2安打2打点の落合とは対照的だった。
オープン戦 日本ハム9-11ヤクルト(2011年3月3日 札幌ドーム)
4番弾だ!日本ハム・中田翔内野手(21)が3日、ヤクルト戦に「4番・左翼」でスタメン出場。5回に豪快な3ランを放つなど、2安打3打点の活躍を見せた。オープン戦ながら、右手骨折で開幕戦の出場が絶望的となった小谷野栄一内野手(30)の代役として回ってきた1軍で初の4番。いきなり結果を出したことで梨田昌孝監督(57)も5日以降の4番起用も明言。3・25開幕4番の座も視界に入ってきた。
これぞ4番の弾道だ。千載一遇のチャンスに、中田が最高の答えを出した。3―3の同点で迎えた5回2死一、二塁。外角高めのスライダーをフルスイングすると、今季から導入された統一球とは思えない豪快な打球が左翼席へ飛び込んだ。
「手応えは良かった。低反発といっても、深くは考えませんよ」。紅白戦などを含め今春の実戦では7本塁打目。ここ4本は中堅から右方向だったが、初4番弾はいかにも長距離砲らしい一発だった。
4番の最有力候補だった小谷野が全治4週間を要する「右手豆状骨(とうじょうこつ)骨折」と診断され、3月25日の開幕・西武戦(札幌ドーム)は絶望となった。そこで首脳陣は中田に経験を積ませる意味で初の4番に据えた。その最初の実戦で結果を出すのだから、4年目の21歳も何かを持っている。
「札幌ドームの中段より上でしょ。成長期にあるね。まだまだ期待できる」。そう感嘆した梨田監督は、さらに続けた。「当然、次のオープン戦(5日)も4番でいく。いつまで(好調が)続くか分からないけど試していく。開幕4番だってあくまで可能性だけどある」。
それでも中田に浮かれた様子は全くない。「4番バッターだからって変に緊張しても仕方ない。単に4番目の打者として深く考えず、自分のやることをやるだけ。何番だって何も考えませんよ」。大阪桐蔭時代は平田(中日)の後を継ぎ、1年秋から4番に座ると高校通算87本塁打。しかし当初の中田が目指していたのは「エース」だった。しかし肘を故障して投手を断念。打者として生きていく決意をした。日本ハム入り後も2軍では3年間で計108試合で4番で出場。「自分は(元オリックスの)清原さんの後継者になる」。そんな誓いは、もうすぐ実現しようとしている。
「今は打ってアピールするのも大切だけど、シーズンで打つことが大事。小谷野さんがああいう状態だから、打順を意識せず少しでもチームに貢献したい。自分の力で少しでもケガをしている人たちの穴を埋めることができれば…」。清原和博氏が初めて開幕4番を務めたのはプロ2年目の19歳の時。「4番・中田」――。約3週間後、本拠地がそのコールに沸き返るかもしれない。
◆若き開幕4番
▼張本勲(19歳10カ月) 60年4月9日近鉄戦(駒沢)。3―3の6回に逆転のきっかけとなる遊撃強襲安打を放つなどして逆転勝ちに貢献。チームに9年ぶりの開幕戦勝利をもたらした。
▼王貞治(21歳11カ月) 62年4月7日の阪神戦(後楽園)。4回に右翼へ大飛球を放ったが、藤井の超美技に阻まれ1号はフイに。4打数無安打でチームも1―2で敗れた。
▼清原和博(19歳8カ月) 87年4月10日の日本ハム戦(西武)。4回に先制の右翼線二塁打。しかしチームは逆転負けし、試合後は「負けたから何もしゃべりたくない」と4番としての責任を痛感。
▼松井秀喜(21歳10カ月) 96年4月5日の阪神戦(東京ドーム)。長嶋監督は前年4番だった落合を5番に下げて松井を起用。しかし内野安打のみの5打数1安打で、2安打2打点の落合とは対照的だった。
