2011年11月24日木曜日

「浪人・菅野」を待つ厳しい選手生命 江川、荒川ら過去の例を払拭できるか

「浪人・菅野」を待つ厳しい選手生命 江川、荒川ら過去の例を払拭できるか

どうしても巨人に入りたい、と東海大の菅野智之投手がとりあえず「浪人」の道を選んだ。2011年11月21日、ドラフト1位に指名した日本ハムに対し、入団拒否宣言をしたのである。この決断は過去の例をみてもっとも厳しい選択といっていい。

拒否宣言の記者会見で菅野は「小さい頃からの夢(巨人選手)を実現したい」とその理由を語り「来年のドラフトを待つ」と決意を示した。浪人して1年を過ごす、いうのである。

これまで、日本ハム拒否の場合、1)社会人野球に進む 2)米球界に行く 3)浪人する-などの進路が取りざたされたが、結果的に浪人する道を選んだ。その気持ちは分からないわけではないが、投手というポジションを考えると、むしろ「賭け」である。

投手の生命である肩は練習不足になると、瞬く間に衰える。そうなると、当然のごとく球威は落ち、一番いいときのピッチングを取り戻すのは至難の業だ。無理をすれば支障を起こす。浪人となると、練習環境をどう整えるのか、指導者はどうするのか、などの問題が出てくる。巨人の助けを得るわけにはいかないし、東海大でも試合には出られない。
大騒ぎで巨人入りした江川のプロ生命はわずか9年

1位指名投手で入団を拒否した有名な例として江川卓がいる。法大時代、東京六大学リーグで史上2位にあたる通算47勝を挙げ、1977年にクラウンライター・ライオンズ(現西武)から指名を受けた。一浪した後、いわゆる「空白の一日」を突き、すったもんだの末に巨人のユニホームを着た。浪人中、ロサンゼルスやアラスカで練習、試合でも投げ、それなりに調整していた。

しかし、巨人入団の1年目は9勝10敗という不本意なものだった。「浪人中の練習不足は明らかだった」というのが当時の巨人コーチの指摘。大学からすぐプロ入りしていれば、15勝は間違いなく挙げただろう。そのくらい図抜けた逸材だった。3年目に20勝したものの、その後は故障もあって苦しい投球を続けた。結局、9年間しか投げられず、通算135勝で終わった。

「あれだけ大騒ぎ(江川事件)して獲得したのに、たった9年でサヨナラか。巨人はどれほど犠牲を払ったのか」と球団幹部が肩を落とした短期引退だった。肩が元に戻らないどころか、無理をして負担をかけたといわれている。「まともなら通算300勝はした投手だった」と多くの専門家はいまだに浪人後遺症を惜しむ。

もう一人、小池秀郎という左腕投手がいた。亜大のエースで90年のドラフト会議でロッテから1位指名を受けたが、入団拒否。社会人野球に一時避難し、92年に近鉄バファローズから1位指名された。入団したものの、10シーズンで51勝。大学時代にマークした通算394三振(当時の最多記録)のキレはすっかり消えていた。プロ入りしたときには峠を越えていたのである。
ドラフト制度そのものが危ぶまれた「荒川事件」

1位指名を受けた野手で悲惨だったのは早大のスラッガー荒川堯(たかし)遊撃手。一本足打法の王貞治を育てた荒川博の野球養子として話題となり、中日で首位打者を獲得した谷沢健一と同期で東京六大学野球の花形だった。ハンサムでスターの雰囲気を持った期待の大型だった。69年に大洋ホエールズ(現横浜)から指名されたが拒否した後、トレードという形でヤクルト入り。

ところが、拒否などが問題になっていたころ、自宅近くで暴漢に襲われ、頭部に傷を負った。「荒川事件」である。それが原因で視神経に障害が出たといわれ、わずか5年、225試合に出場しただけで球界を去った。悲劇としかいいようがない事件だった。すんなりプロ入りしていれば、かなりの成績を残しただろう。

1位指名を受けて入団拒否した選手にはいいことが起きないというのが過去の例だ。菅野は大変な試練に挑むことになる。江川ほどの投手でも苦しんだ浪人生活。日本ハムは「諦めない」という。「この程度で諦めるのなら最初から指名しなかった」と球団幹部は交渉を続けるつもりだ。まだひと波乱あるかもしれない。

2011年11月15日火曜日

ナベツネ騒動、最大の「ピエロ」は江川か 裏にチラつく「巨人戦」の視聴率事情

ナベツネ騒動、最大の「ピエロ」は江川か 裏にチラつく「巨人戦」の視聴率事情


あの「ナベツネ」こと巨人の渡辺恒雄会長に楯突くという前代未聞の出来事が起きた。勇気ある行動に出たのは清武英利球団代表。OBの江川卓氏を勝手にヘッドコーチに押し込もうとしたやり口に怒りを表したのである。しかしこの騒動、ただの内紛ではないようだ。
NHKもニュースで取り上げた

内部告発の会見を行ったのは文部科学省。プロ野球と教育の省、そのうえ告発だから場違いもいいところだった。内容はもろに「ナベツネ(渡辺会長)批判」。この異常事態は球団内のトラブルなどまず扱わないNHKがニュースで取り上げたことほどだから、いかに大きな衝撃だったかが分かる。

清武代表の言い分は、来シーズンのコーチ人事についての渡辺会長の口出しに対して。「鶴の一声で覆すのは不当」「球団を私物化」と厳しく批判。江川をヘッドコーチとし、既にヘッドコーチに決まっていた岡崎郁コーチを降格させる、という会長の独断に矢を放ったのである。

経過は次の通り。
▽10月20日 桃井恒和オーナーと清武代表が渡辺会長に岡崎ヘッドコーチら来シーズンのコーチ陣容を報告し了解を得た。
▽11月4日 渡辺会長が報道陣に「新コーチ陣のことは聞いていない」と発言。
▽11月9日 渡辺会長は清武代表に「江川ヘッドコーチ、岡崎コーチ降格とする。江川には交渉中」と伝える。

清武代表は、渡辺会長に翻意を促したが聞き入れてもらえなかった、という。そして告発会見の挙に踏み切った。さらに驚くことに、清武代表は渡辺会長から「次は桃井に代えて君を球団トップにする」と、手形を切ってきたことを暴露した。ポストをちらつかせて自分の意のままに人事をするという手法は、政治記者を自負する渡辺会長らしいといえるだろう。
渡辺会長の動きの陰にある2つの理由とは?

騒ぎの元となった江川のコーチ就任に注目したい。江川は現在、日本テレビのスポーツニュースでキャスターを務めている。ユニークな切り口が受け、そこそこの視聴率を稼いでいるという。

渡辺会長が密かに動いたのは二つの理由があるように思える。その第一は、清武代表の主導で編成した来季のコーチ陣が気に食わないこと。既に就任が決まった橋上秀樹、秦真司という新顔にまつわるもので、彼らが教わった野村克也のID(インポータント・データ)野球の導入に対して、だ。

「天下の巨人が野村に屈したのか」と首をかしげるOBがいることは事実。巨人の背後に野村の影、というのをプライドの高いOBたちが認めるわけがない。そういった声が渡辺会長の耳に届いたのではないか。

巨人生え抜きでチーム再建を、と渡辺会長が方向転換してもおかしくはない。そこで独特の野球観を持つ江川に白羽の矢が立った。読売グループ内の人事であり、ましてや渡辺会長直々ならば江川は受けざるを得ない。

おそらく江川には、2013年から監督、という話もあったのではないか。江川は20年以上も現場から離れている。来シーズンはヘッドコーチとして勘を取り戻すための1年というわけである。実は原辰徳監督も、長嶋茂雄監督の元でヘッドコーチを務め、そこで監督修行をした。新しい巨人方式といえる。

第二は、日本テレビからの要請だ。巨人戦の視聴率がかつてと比べると、かなり低い。10%を切ることも珍しくないという。そこで人気のある江川を送り込む。キャンプから話題になるし、原とは比べ物にならない江川の語りは受ける。

球界最高のスーパースター長嶋でさえ、勝てなくなって視聴率が下がると、監督交代の話が出たくらいである。メディアをグループに持つ宿命だ。
「政治記者」渡辺VS「社会部出身」清武 「育ちの違い」も見え隠れ

今回の騒動は日本球界特有の出来事の象徴でもある。人事問題をプロの組織としてとらえるか、会社組織としてとらえるか、だ。清武代表の主張は前者であり、渡辺会長の言動は後者といえる。日本の球団は、サラリーマンがプロ選手をコントロールしているから、ときおり親会社・球団・現場の三位一体が崩れる。球団が契約で雇う専門職のGMが現場をすべて仕切る大リーグとは違う。

これまで「ワンマン渡辺会長の腹ひとつ」といわれてきた巨人の球団運営が事実であったことが明らかになった。いかに独裁政治が行われてきたかが分かった。

渡辺会長は政治の政局にも顔を出す。「オレは総理大臣を誰にするかの方が大事なんだ。野球のことなどどうでもいい」と発言するなど、野球を見下すこともしばしばだった。その御仁が大臣ではなく、野球のコーチ人事に口を出すのだから苦笑してしまう。腹芸の政界と密接な渡辺会長と、現実そのものと立ち向かってきた社会部出身の清武代表の「育ちの違い」がぶつかった側面もあるだろう。

江川はかつて野球協約を無視して巨人に入ったいきさつがある。その意味では巨人も江川も腐れ縁でつながっているといっていい。その江川に入閣の要請がされていたことはさもありなんという感じがする。

清武代表は「コーチにはプライドもあるし、生活もある」と言った。現場のコーチや選手にとっては、自分たちを守ってくれた代表に感謝していることだろう。それも涙を流しながら訴えたのだから感動ものだ。

  とんだピエロ役は江川だった。清武代表が会見した日に「正式な話はない」としたうえで「そういう状況ではないでしょう」と、コーチ就任を断る旨のコメント。そして「迷惑がかかる」とも。騒動の騒ぎの中でもっとも冷静だった。この状況判断の良さこそ試合進行に必要なのである。それにしても江川が絡むとトラブルになる。

2011年11月11日金曜日

ボクシング 元王者の内藤大助が引退へ

ボクシング 元王者の内藤大助が引退へ


元世界ボクシング評議会(WBC)フライ級王者の内藤大助(37)が、現役を引退する意向であることが11日分かった。今月、家族に対して「もうやめる。年内には発表する」と伝えていた。


内藤は07年7月にポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)を3度目の挑戦で破り、同級王座を獲得。防衛に5度成功した。初防衛に成功した07年10月の亀田大毅(当時協栄、現亀田)戦では、亀田大が反則行為を繰り返し、1年間のボクサーライセンス停止処分を受けるなど社会問題となった。世界タイトルは09年11月に亀田大の兄の興毅(亀田)に敗れて失った。

昨年5月の再起戦に勝ったが、その後は試合から遠ざかり、今年1月1日以降はライセンスが失効状態だった。戦績は36勝(23KO)3敗3分け。

2011年11月8日火曜日

菅野、下半身は何もしないのか

菅野、下半身は何もしないのか

今年のドラフト、最大の話題は東海大・菅野智之の去就だったが、彼は一体どれほどの実力を持つのか。学生時代、早大野球部に在籍するも腕前は捕手10人中10番目。それでも野球の仕事は諦められず……会社員を経て雑誌『野球小僧』のライター業に辿りついた。そんな苦労の末、全国を旅しながら噂に聞こえた剛腕投手の球を受ける“流しのブルペンキャッチャー”安倍昌彦氏が菅野を語る。

* * *
それにしても、東海大の菅野智之ってヤツは、すごいヤツだ。

160キロ近い最速を有する快速球に、140キロ前半のカットボールと130キロ台のスライダーにフォーク。プロでも、これだけの「飛び道具」を揃えている投手はなかなかいない。そんな剛球を、ほとんど上半身のパワーで投げてしまう。

下半身は何もしないのか。いやいや、そんなわけはない。並外れた上体の運動量を、どっしりと支えて、精度に害を与えない。

立ち投げの初球。軽く腕を振っただけのボールが、あぶなくこっちの顔に当たるところだった。あの腕の振りでこのボールかよ……。

5の腕の振りから、7や8のボールが投げられるのがプロの資質。

腰を下ろして、本気で投げてもらったら、こっちに突進してくるボールに蒸気が噴き出しているようだった。

弾よりも速く、力は機関車よりも強く。東海大・菅野智之はクラーク・ケントの「スーパーマン」だった。 とにかく馬力、そしてスピード感。

カットボールは、ベースの上までまっすぐに来て、そこから急に進路を変えて、わが右肩を直撃した。バットが振り出されてからスッと曲がられては、打者はもはやお手上げである。

持ち球がすごいだけじゃない。 菅野智之という投手は、ピンチを迎えると相手ベンチをじ~っと見ているヤツなのだ。

監督が打者に何を指示しているのか。それを受けた打者の反応はどうだ。ビビッているのか、それとも少しは腕に覚えがあるのか。 敵陣をじ~っと見つめて、何かを察して、こういう手を打っていこう。用心深さ、そして先回り。これこそ、攻めのピッチング。マウンド上での精神年齢が高い。

11月2日、明治神宮大会の予選となる一戦で、サヨナラ負けを喫して学生野球生活の幕を下ろした菅野智之。 2死二、三塁、左打者のいちばん打ちやすい真ん中外より、今日のいちばん打ちやすい球種のカーブを投じてしまった。きれいに打ち抜かれた打球は、ライトの右へライナーとなって飛び、マウンド上の彼は、立ちつくすばかりだった。

 日本ハム指名という波乱に翻弄されたが、「流れ」はいつも移ろいやすく、よくも悪くも、いつまでもそのまま続くわけではない。

2011年11月5日土曜日

東海大・菅野「まだ決めていない」、日本ハムのあいさつに同席

東海大・菅野「まだ決めていない」、日本ハムのあいさつに同席


巨人入りを熱望しながら、日本ハムにドラフト1位で強行指名された東海大の157キロ右腕・菅野智之(22)が、注目の進路について「決めていない」と話していることが4日、分かった。父の隆志さん(49)=自営業=が「まだ(方向性の)イメージが湧かない、と話している」と明かしたもの。社会人野球や浪人など、あらゆる選択肢を検討する考えで、早ければ週明けにも日本ハムの指名あいさつに初めて同席する。

白紙から考えていく。菅野はこの日、神奈川県内の実家で父・隆志さんと今後の進路について話し合った。「自分の中では、まだ決めていない。イメージが湧かない」。そう父に本音を語ったという。隆志さんは22歳の悩める胸中を「日本ハムに行ったらどうなるか。社会人に行くとどうか。浪人したらどうなるのか。いろんな話や情報を聞いた上で、慎重に決断したいようです」と代弁した。

まずは、交渉権を持つ日本ハムに会う。菅野はこの日、父や東海大関係者と早ければ週明けにも指名あいさつを受けることを確認した。日本ハムは編成トップの山田正雄GM(67)に加え、3日に新監督就任が発表された野球評論家の栗山英樹氏(50)の出馬も予想される。

先入観は持たず、野球人として礼儀を尽くす。先月28日、最初の指名あいさつは大学の講義のため欠席した。会談時間などで日本ハムとの行き違いがあったが、菅野にわだかまりはないようだ。隆志さんは「会って、指名に至った経緯などを聞いてみたいようです。その席で入団拒否ということはない。聞きたいことが出てくれば、場合によっては3、4回と会うこともあるかもしれません」と説明した。

東海大には、複数の社会人野球チームから獲得の打診も届いている。大学院進学や浪人した場合の米国留学など、あらゆるケースを想定し、ベストの選択ができるよう、時間をかけて考えていく構えだ。

巨人・原辰徳監督(53)の甥っ子という血縁関係にあるが、「あくまでも家族の意見は家族の意見。今月中(に決める)とか、焦る必要はないと思いますし、悔いのないように最後は自分の意思で決めさせたい」と隆志さん。涙のドラフトから9日。学生最速右腕が腰を据えて“就職活動”に入る。

◆菅野 智之(すがの・ともゆき)1989年10月11日、神奈川・相模原市生まれ。22歳。小学1年で野球を始める。新町中3年夏の神奈川県大会で優勝。東海大相模では2年春からベンチ入り。3年夏は決勝で敗れ、甲子園は未経験。東海大では1年春に救援で首都大学リーグ戦にデビューし、同秋から先発定着。リーグ史上7人目の30勝と300K。リーグ通算53試合36勝4敗、防御率0.56。185センチ、86キロ。右投右打。家族は両親と姉。



ソフトバンク・松中、意地の満塁弾=プロ野球CS

ソフトバンク・松中、意地の満塁弾=プロ野球CS


ソフトバンクの松中が、勝利を決定づける劇的な代打満塁本塁打。代わったばかりの牧田の初球の変化球を右翼席へ豪快に突き刺し、「プロに入って初めてといっていいくらい興奮している」と頬を紅潮させた。2004年、05年とレギュラーシーズンで1位となったが、ともにプレーオフで敗退。その時に大ブレーキとなり、「いろいろ言われ、見返してやろうとやってきた」と留飲を下げた。
  今年9月14日の西武戦で死球を受けて右膝を骨折し、まだ完治していない状態で気迫の一発。CSでは史上初の代打満塁弾でもあった。 

2011年11月4日金曜日

菅野浪人決断ハム拒否 巨人愛貫き通す

菅野浪人決断ハム拒否 巨人愛貫き通す

10月27日のドラフト会議で日本ハムが1位指名した東海大・菅野智之投手(4年=東海大相模)が、1年間、浪人する決意を固めたことが3日、分かった。2日に関東地区大学選手権で敗退し、凍結していた日本ハムとの交渉が解禁されたばかり。まだ、スカウトから直接あいさつを受けていない段階だが、伯父である原辰徳監督(53)が指揮する巨人でプレーすることを目指し、初心を貫くことになった。

菅野が選んだのは、尊敬する伯父のもとでプレーすることだった。3日夜に神奈川県内で家族会議を行い、日本ハムには入団せずに、浪人して来年のドラフトで再度、巨人入りを目指す決意を固めた。東海大は2日に関東地区大学選手権で準決勝敗退。公式戦全日程を終え、日本ハムとの接触が解禁されたばかりだが、交渉開始を待たずに進むべき道を定めた。

菅野にとって、巨人と原監督への思いは特別なものがある。幼少時にはおむつを替えてもらい、風呂に入れてもらい、小学生になるとキャッチボールの相手をしてもらった。95年の現役引退試合は、菅野が初めて見に行ったプロ野球の試合だ。大観衆の中で本塁打を放つ勇姿は、プロを志すきっかけになった。尊敬する人物は「原辰徳」と公言。共に戦うことを熱望してきただけに、他球団への入団は考えられなかった。

菅野の祖父で原監督の父でもある原貢氏(76)は、日本ハムが事前に1位指名のあいさつをしなかったことに腹を立てていた。だが、菅野サイドの怒りの本質はそこではない。日本ハム関係者が菅野サイドに対し、ドラフトでは指名しない言質を与えていた。戦略とはいえ、それでも指名に踏み切ったことに不信感は募っていった。

この日、相模原市内で取材に応じた貢氏は「最後は智之の意思だけど、本人も行きたくないと言っているようです」と、菅野に入団の意思がないことを明かし、「浪人するなら1カ月くらい、アメリカでメジャーの練習に参加できる所を探して目の保養をするのもいい」と海外武者修行プランを披露。周囲で着々と構想は練られている。

10月28日の指名あいさつには、菅野は授業で欠席。日本ハムは交渉長期化との見方を示している。だが、近日中に再度スカウトが訪問すれば菅野も同席し、そこで入団拒否の思いを告げるつもりだという。全日本大学野球連盟に加盟しない浪人となれば、公式戦はもちろん対外試合にも出場できないなどリスクは大きい。それでも、来秋ドラフトの対象となる最短の道だ。巨人のユニホームに袖を通す日まで、菅野の覚悟は揺るぎそうにない。

◆菅野のドラフト指名後 10月27日、日本ハムの交渉権獲得に困惑し「ちょっと難しいですけど、無事に終われたというのはすごくホッとしてます」と振り返るのが精いっぱい。翌28日には、日本ハムのスカウトが東海大を訪問し、大学の全日程終了まで接触しないことを約束。11月2日の関東地区大学野球選手権で、菅野は桐蔭横浜大戦に先発するもサヨナラ負け。涙を流しながら「今後どうするかまだ決めてませんが、一生のことなので、自分の意思でじっくり答えを出したい」と話した。

◆浪人メモ 社会人や国内の独立リーグに所属すると、ドラフト対象選手となるのは13年以降で来年の指名は不可能。MLB、米独立リーグに進んだ場合、契約が切れてからさらに2年間指名できない。どこのチームにも属さない浪人なら、来年のドラフトで指名を受けられる。米国留学には明確な規定がないが、米国での浪人では江川卓、元木大介の例がある。

◆ドラフト1位指名選手の入団拒否 過去25人おり、00年に内海哲也投手(敦賀気比、現巨人)がオリックス1位を拒否したのが最後。日本ハムの拒否は76年黒田真二投手(崇徳)80年高山郁夫投手(秋田商)の2人で、81年以降の最上位は全員入団。江川卓投手は作新学院時代に73年阪急、法大時代に77年クラウンと1位指名を2度拒否。浪人したケースとしては、77年江川、89年ダイエーを拒否した元木大介内野手(上宮)がいる。江川は78年に阪神が1位指名し、阪神と契約後に交換トレードで巨人へ入団。元木は90年に巨人が1位指名してプロ入り。