2011年7月29日金曜日

孤高の豪腕…伊良部氏自殺の真相

孤高の豪腕…伊良部氏自殺の真相


プロ野球のロッテ、阪神や米大リーグのヤンキースで投手として活躍した伊良部秀輝さんが、米ロサンゼルス近郊の自宅で死去していたことが28日、分かった。42歳だった。首をつっていたことから、ロサンゼルス郡保安官事務所は自殺とみている。持ち前の剛球で日米通算106勝を挙げ、2003年には阪神の優勝にも貢献。その一方で、私生活では暴行、飲酒などで数々の問題を起こすなど、破天荒な行動で話題を提供してきた伊良部さん。波瀾万丈の人生の最期に何があったか。その真相は?

衝撃的なニュースが海を越え、米国から飛び込んできた。あの剛球投手でならした伊良部さんが死亡した。しかも、自宅で首をつって自殺した可能性が高いという。マウンド上での、ふてぶてしいまでの態度がトレードマークでもあった伊良部さんに、いったい何があったのだろうか?

現地の情報を総合すると、伊良部さんの遺体は現地時間27日朝、ロサンゼルス郊外の自宅で発見された。伊良部さんは草野球チームに所属しており、当日も野球をする予定だったが、姿を見せず、連絡もとれなかったことで心配したチームメートが自宅を訪ねたところ、伊良部さんとみられる男性が首をつっていた。すぐに救急車を呼んだが、すでに死亡していたという。その後、ロサンゼルス郡保安官事務所が自宅を調べ、遺体を確認。自殺とみている。

伊良部さんは1988年、香川・尽誠学園高からロッテにドラフト1位で入団。日本人選手最速158キロのストレートを武器に西武・清原和博と名勝負を繰り広げた。97年にはヤンキース移籍を熱望。ロッテの意向を無視して代理人契約を結び、日米球界を騒然とさせた末、ヤンキース入りを果たした。

ヤンキースでは3年間で29勝をマーク。98年には13勝9敗の成績を残し、ワールドシリーズに進出(登板機会なし)。アジア人として初の世界王者に輝いた。その後、エクスポズ(現ナショナルズ)、レンジャーズと渡り歩き、2003年に阪神に入団。星野仙一監督の下で先発ローテに入り、13勝を挙げて、阪神の18年ぶりの優勝に大きく貢献した。

日米で実績を上げた伊良部さんだったが、04年にひざを痛め阪神を引退。09年には米独立リーグで5年ぶりに現役に復帰し、その後日本の独立リーグ、四国アイランドリーグに入団。引退後はロサンゼルス郊外の日本人の多いパルロス・デルベスという町でうどん店を開業して実業家に転身するなど、常に話題を振りまいた。

その一方で飲酒にまつわるトラブルも多く、阪神在籍中の04年2月、沖縄・宜野座キャンプ中に深夜の飲食店で男性客と飲酒トラブルを起こし、球団から厳重注意と罰金30万円。退団後の08年8月には、大阪市北区のバーでカードの支払いをめぐって男性店長に暴行し、大阪府警に暴行で現行犯逮捕(その後不起訴処分)された。昨年5月には、ロサンゼルス近郊で酒気帯び運転をして逮捕されている。

阪神時代に通っていた大阪・北新地のクラブママは、伊良部さんの素顔を明かす。

「焼酎を『狂い水じゃぁ』といってガブ飲みしては、高校時代の校歌を歌っていましたね。ホステスさんに自分のことを一生懸命しゃべって、『おれは背広の懐のところに散弾銃入れている。いつでも撃てるんや』と強がってました」

そんな伊良部さんが「週刊SPA!」7月19日号のインタビューに対し、近況についてこんなふうに答えている。

「何もしていませんよ。近所の子供に野球を教えることぐらい。あとはたまに、草野球に顔を出してます」。また指導者としての日本球界復帰について「監督の器でないことはわかっています。コーチ? 日本で雇ってくれるところがあるかなぁ(苦笑い)。三軍のピッチングコーチならばできるかな」と語り、「迷っている選手とじっくり話をして、何に迷っているのか、ぼくが知っている範囲で答えたい」と語っている。

米国永住については、「家族がこちらの生活がいいと言っているんで。ぼくとしては日本に帰りたいです。英語も話せないし」ときっぱりと否定。日本への思いを吐露している。

伊良部さんは、米国永住のため、1年ほど前までグリーンカード(米市民権)を得るための講習会にも通っていた。しかし、うどん店を閉店した07年以降は、一時独立リーグでプレーするも定職はなく、飲酒で問題を起こすこともしばしば。重度の腱鞘炎で好きな野球も満足にできず、日本に帰りたいと漏らし、友人らによると最近は「鬱病の気があったようだ」という声も。また近所の住人によると、「最近、妻と別居したことにより非常に落ち込んでいる様子だった」という証言もある。家族、将来について悩んでいた様子がうかがえる。

まさに光と影のコントラストが際だっていた伊良部さんの野球人生。個性あふれる剛球投手は、最期まで波乱に満ちていた。